晒すのハードルが低すぎる

篠田麻里子が離婚した。

 

麻里子の言葉を信じます、とのことで、

Twitterを流し見してたら、「旦那さん最後まで良い人ー♡」という反応があった。

 

確かに、たとえ不倫の事実は無かったとしても、限りなく黒に近いような状況をもってパートナーを傷つける行為そのものは絶対に良くないし、

最後の最後に信じるという選択をすることは勇気がいることだと思う。

 

ただ、信じてもなお、離婚をしているのには変わりなく、「子供の人生を傷付けた!!」と言いながら、その母親の不貞の生々しい証拠の数々を世の中に晒すのは「良い人」の範疇に収まる行為だろうかと疑問を抱いている。

 

確かに、私が結婚相手に不貞行為をされてしまったら、と考えると、出来るだけ当事者の心にくるダメージを与えたいと思うかもしれない。

 

その場合、私のような凡人が取れる方法は限られているが、それが公人相手となったとき、「晒す」がコスパの良い効果を発揮するのは確かだ。

 

でも、子供の人生を盾に取るなら物事は慎重でなければならないと私は思う。

 

私の実父は、所謂プレイボーイで、家にも寄り付かず彼女の家を転々としていたタイプだった。

彼の数々の「武勇伝(笑)」を知る機会は多く、そのたびに多感な心は傷ついていたし、ゆえに人を信じることがあまり上手くはなくなってしまった。

 

当事者にとっては過ぎ去った出来事になるとしても、

断片的に見聞きする受け手は、その瞬間、瞬間が最新なのだから、消化が追いつかず、不快感が残ることもある。

 

か篠田元夫婦も、これは夫婦間の問題だ、個人間の問題だ、と言っているが、

自らの手で世の中に発信したのに、「やっぱり騒がないでね」がどこまで通用するだろうか。

 

言葉は出したら最後だ。

人の心に一度入ったものを取り出すのは骨が折れるし、それがより大勢、となったらまず消し去ることは不可能だ。

 

やり直しもリセットも効かない状況に持っていったという意味で、子供のことを視野に入れなければ、元旦那は不貞疑惑のあるパートナーを窮地に追いやりつつ、自身は被害者としての地位を誇示できる手段をとり、それらを全うしたといえる。

 

けど大変なのは多分ここからなんだろうな。